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努力クラブ『よく降る』を観た
2012年7月9日に観劇。京都・人間座スタジオにて。
[ホームページ]努力クラブ
 段ボールが積まれて大きな壁になっている。何も書かれていない茶色の壁だ。少しするとその中の一つがゆっくりと前に出てきて下へ落ちる。何も入っていないような軽い段ボールだ。壁には穴が開くのではなく新しい段ボールが代わりに収まっている。つまり落ちた段ボールはところてんのように後ろから別の段ボールに押し出されたのだ。
 主人公の青年は、その落ちてきた段ボールを近場に運ぶのが仕事だ。段ボールはどこからかは分からないけれど一定のペースで壁から落ちてくる。落ちてくるたびに青年は拾って運ぶ。延々とそれを繰り返すだけ。
 段ボールは速いスピードで次々に落ちてくるわけではないから、青年は手を休めてその場にやって来る人と話をしたり、あるいは食事もするだろう。そうした時間の余裕は確かにある。けれども手を休めているあいだも、段ボールは確実に一個ずつ落ちてきてその場に溜まり続ける。その場から人が去って我に返った青年は、ため息をついてまた作業に戻らねばならない。
 この緩さが残酷だ。一見、気楽な仕事のようではある(青年もそのように感じている)。しかし彼は落ち続ける段ボールの前で拘束されている。その苦痛に本人が無自覚であること。苦痛がはっきりあるならば、労働と休息をはっきりと分けてメリハリをつけることで、その苦痛と向き合うこともできるだろう。しかしこの単純労働は、彼からその苦痛を自覚する機会を奪っている。そうすることで、彼という労働者を駒として使うことができるのだ。
 哲学者の鷲田清一は、シモーヌ・ヴェイユが工場での労働を体験したときの苦痛について触れている。

 彼女自身はみずから入っていった工場生活のなかで、思考するよりはむしろ思考しないことを望んでいるようなじぶんを経験する。思考が、記憶が、つまりそういう距離が、苦しみのなかでひとを苦しめるのである。苦しみにおいては、生きることの、ふつうは意識せずにすんでいる地盤そのものが崩れだしており、それゆえにそれの存在をつねに意識しつづけるしかなくなる。だから、意識することにおいて発生するその距離そのものを消すことが、苦しみのなかで苦しみから逃れる唯一の方法になる。
鷲田清一『「聴く」ことの力』p162


 『よく降る』の主人公の青年はもう一歩過酷なところにいて、というのも、来訪者と話したり好きな時に食事をする"ちょっとした"自由が与えられることで、その苦痛も巧みに隠微させられているのだ。無自覚な苦痛は確実に彼を追い詰める。彼を訪ねる女性に対しての金と引き換えによる性欲の発散は、その苦痛が隠されてはいるが確かにあることを示すのである。その発散するさまを見て、観劇したある人は作者の女性観が崩壊していると指摘するだろう。けれどもそれは作者がどこまで意図していたかは別としても、あの状況が青年の欲望を歪ませているのであって、そういうものとして作者は冷静に描写しているのだ。
 それにしても、ヴェイユが体験した20世紀の単純労働は今でももちろんあるだろうけど、その苦痛を自覚させない現代の労働の巧みさ。劇では、その表現を積み上げた段ボールの壁とどこからか一つずつモノが落ちてくるという仕掛けに象徴させた。とてもユニークで卓越したやり方だった。労働者は天から降ってくるものをただ待って拾って運ぶ。その姿はリンゴが木から落ちてきてそれを拾うのと同じように見えるけれど、その意味合いは先に述べたように全く違う。原始的な労働の姿と現代のそれとを重ね合わせるように見せたことで、現代の歪んだ労働を象徴することに成功している。確かに劇中でも触れられているように近い将来、そういう仕事は機械が人間の代わりをすることになるだろう。けれどもそれで解決はしない。その現場から追い出された労働者は、機械がするにはちょっぴり複雑な別の単純労働の現場に送られるだろうし、あるいは解雇されてしまうのだ。
 劇についていえば、その他の演出や俳優の演技に不満がないわけでもない。けれどもそれを差し引いても余りある脚本の良さと段ボールの壁という仕掛けが、わたしに強い印象を残している。

追記 公演パンフレットには、作者の労働についての原風景が父が勤める工場の段ボールであることが書かれている。

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