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残響する『DICTEE』


書庫』の稽古が進んでいる。『DICTEE』が終わってバタバタと準備をして、例えば台本も準備稿はあったもののやはり書き直して稽古に臨むということだが、それを短期間でせねばならぬと慌ただしくしていた。そのあいだに広島へ行ったりもした。台本が書き終わって、やっと落ち着いたと思ったら10月も半ばになろうとするこの時期だ。宣伝が遅れている『書庫』について触れまくりたいところだが、その前に自分自身のために『DICTEE』のことをメモしておかねばと思う。
 当日パンフレットに松田さんは気が狂いそうになる夏だったと書いてらしたが、わたしもわたしでおかしなことになっていたのだなと思う。軽い熱病にかかったような、薄いモヤの中をかきわけるようにして前に進むような、そんな夏だった。そして『DICTEE』が終わってもしばらくは呆然としていて、もちろんただボーッとするわけにはいかず溜まった仕事を次々に片付けなければいけないのだけれど、とにかくそれほどにこの『DICTEE』という舞台の体験は濃密なものだった。
 高山明さんという、東京でPortBという集団で創作されている演出家の方が『DICTEE』の最終日にいらっしゃって、その後の打ち上げの席でお話しする機会があった。松田さんに紹介してもらって、話をしていると要はわたしの役割というのが「ドラマトゥルク」ですな明らかにと言ってもらった。「ドラマトゥルク」というのがどういうものか無知だったのだけれど、googleで検索してみると例えば文脈はまったく違うがこういう解説もある。
 その解説にあるほど大きな仕事をしたとは思えない。具体的にもっとわたしの仕事は限られていたし、つまり松田さんの側につねにいて、話を聞く・メモを取る・求められて意見を言うということで、なにかしらそれで創作に貢献できていればいいなとは感じてはいた。なるほど「ドラマトゥルク」としての役割がある程度でも果たされていたのであれば『DICTEE』という舞台作品が実現されるための一助にはなっただろうが、それはわたし自身では判断できない。いまのところは松田さんや他の方がかけてくれたことばを信じるのみだ。
 わたし個人にとっての『DICTEE』はどうだろう。大学時代に古今東西の古典劇をやった経験が五年十年経っていきてくるようになったということがわたしにはあるのだけれど、『DICTEE』もきっとそのようになるだろうという確信はある。
 何度かこのブログでも書いたかもしれないが、人間が満天の星空を見上げてそこに星座を見いだすときの想像力、うまく説明できないけれど、一般に言われるよりももう少し人間という存在の本質に踏み込んだところで語られる「想像力」を観客に期待する、あるいはそうしたものと対話しようとする試みだったような気がする。夜空に輝く星たち自身はなにかの秩序をもってそこに並んでいるのでは決して無い。ただ人間の想像力が何万光年も離れている星と星のあいだに線を結んで、動物や人間の図像を作り上げる。そうした想像を引き出す自然の大きさというか、人間への影響力というのは計り知れないものがあるのだけれど、大げさかもしれないが『DICTEE』の試みはそうしたものに比するレベルで想像の対象を造形する作業だったようにも思われる。一つ一つの部分としてのパフォーマンスに固有の意味を見いだすのは困難だけれど、それらがつながって一つの作品に結実したときになにかの像を喚起させるものとなる。たとえばそれは言語、身体、社会、暴力といったものをキーワードとするものだ。それはなにかを期待させるとか、予想させるとかいったものよりももう少し、なんというか社会性を帯びない想像、自然を畏怖する想像に近いものだ。
 そんな創作の現場にいた体験がこれからのわたし自身にどう影響するのかまったく未知なのだけれど、この舞台作品の内容や手法、創作の過程すべてが、わたしのこれからの創作のなかで残響のように、時には幻聴のようにして響くことになるだろう。その響きを思い返すように耳を澄ますこともあるかもしれないし、拒絶しようと耳をふさぐこともあるかもしれない。
 また近い将来『DICTEE』について語る機会があるだろうけれど、いまのところはまずはここまでとしておきたい。

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>かおなしさん
コメントありがとうございます。「帰郷」というのは松田さんの作品のことでしょうか、観たかったのですが観れてませんで、さらに観ておけばという気持ちを強くしました。『書庫』の方は楽しんでいただけたのであればとても嬉しいです。いろんな想像を膨らませてもらって、そういう楽しみ方であって欲しいとつねづね思っていまして。ありがとうございます。
田辺剛 | 2009/03/03 18:40
昨日、拝見。司書が担いでくる風呂敷包みに「帰郷」での人形が思い浮かびました。SFでファイアーマンが焼く本、検索会社が図書館の本のデータペースを作る件とか様々なパラダイムにて更にふくらむ話ではないかと思いました。
かおなし | 2009/03/02 13:44
>中瀬さん
ふたたび「ドラマトゥルク」をやる機会があれば、また自覚的なアプローチもできるかと思っていますし、そういう興味もあります。そのときにはいろいろ考えることになるのではと。
コメントありがとうございました。
田辺剛 | 2008/10/14 22:38
 こんばんは。
 『書庫』の稽古、如何ですか?

 ドラマトゥルクという言葉がようやく日本で定着しそうになってきましたね。
 実は、15年前のケルン滞在時に、ドラマトゥルクという職責に関して知識を得ていたのですが、その頃はクラシック音楽、それも事務方の業務のほうにより感心があったため、あまりそのことについて考えを深めることはありませんでした。
 今回、田辺さんのブログを拝見して、一度ドラマトゥルクに対してしっかり考察してみようかと思いました。
(おこがましくも、僕自身、名称は別にしてドラマトゥルク的存在としてなんらかの公演に参加してみたいという希望もふと芽生えましたし)

 それでは、本番に向けて頑張って下さい。
 公演、愉しみにしております。
中瀬宏之 | 2008/10/14 22:24
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