1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31

今後の活動予定はホームページをご覧ください

下鴨車窓のホームページはこちら

ピョンピョンとブンブン
木ノ下歌舞伎の作品を初めて拝見して、ずいぶんと面白く刺激にもなったのだった。
 木ノ下歌舞伎というところがふだんは演劇であるが今回初めての舞踏公演であることなど何も知らずに席について開演を待って。その開演までの演出ですでに期待がふくらむ印象があったのだけど果たして目を離すことなく見入ってしまった。歌舞伎の世界では有名だという「三番叟」と「京鹿子娘道成寺」を下敷きにというか、元にして創られた舞踏作品。「舞踏」と言うとわたしにはものものしいイメージもあるのだけれど「ダンス」と名付けても、まあ片仮名がダメだということなのかな。とにかく踊るのである。30分程度の二つの作品が休憩をはさんで上演された。
 縛られない想像が自由に舞台を舞う。ピョンピョンと跳ねブンブンと振り回される身体が空間に生きている。しかし奔放に振る舞っているかにみえて、なにか二つとも作品全体に芯のあるものを感じさせたのはやはり歌舞伎の先に挙げた演目を土台にしているからだろうか。そのあたりをもうちょっと知りたいのだがなにせその歌舞伎の元になった演目について、というより歌舞伎そのものにわたしが無知なので比較のしようがない。
 歌舞伎をご存知の方には元になった歌舞伎の演目と木ノ下歌舞伎の作品の関係、関連についてもっと議論があるだろうし、あるいは賛否がいろいろとでてくることになるのかもしれない。ただあいにくというか幸運にもというかわたしは歌舞伎を知らないのでそこにはこだわることなく、その時目の前でなされた表現だけを素直に観ることができた。
 前半「三番叟」の幕引きの演出は見事でオーッと小さくつぶやいてしまう。あの歯切れの良さは快い。後半「娘道成寺」は出だしの印象が強くてそのまま一気に観客を舞台に引きずり出す力があった。そして最後まで放さない。
 ダンスだから可能だったのか、創り手たちの持つエネルギー(熱)、それも溢れんばかりの豊穣なそれに観客のわたしは触れることができた。それは例えば「創り手たちの熱は、定められた所作や外部から加えられた演出、そして彼らを覆う物語にまずは吸収され、逆に所作や演出、物語は創り手たちの熱を帯びることで輝きを放ち始める」という関係で成り立つ作品と比べるとあまりに熱の伝わり方がまっすぐに届いてくる印象でそこに素直に面白みを感じるのだけど、それは、木ノ下歌舞伎における創り手たちの身体、演出、構想が順序も順位もなくひとつのカタチになったからなのだと思われる。そこらへんのからくりがよく分らないのだけど、そんな謎解きもそもそもは興醒めなものだ。
 とにかく正直に言うと、軽い興奮を覚えながら帰宅したということになってしまったのだった。木ノ下歌舞伎の次回公演も楽しみだし、今回参加した面々のそれぞれの活動にも注目したいと思った。
 別にもともと侮っていたわけではないが、侮れない。まったく侮れない。

RSS"no size"が更新されるとお知らせします

スポンサーサイト
- | - | -
COMMENT









TRACKBACK URL
http://tana2yo.jugem.jp/trackback/656458
TRACKBACK