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ちょっと困って、けどいい機会だから
先日、日本経済新聞の関西版に演劇についての記事が出てそこにわたしのことばも紹介されているのだけど、わたしの発言の意図とは違っていて戸惑っている。たしかにそういうことを言ったのだけど、その発言の前後の文脈がわたしの話と記事とでは違っていて。けれどいい機会なのでここに改めて、最近考えている演劇創作の集団論を書いておこうと思う。
その記事をとりあえず読んでいただければ思うのだけど、従来の劇団というのが成り立ちにくくて、それは役者を目指す人の多くが劇団に所属するよりもいわゆる「フリー」の立場であることを好むようになったからであり、集団の主宰者たちは四苦八苦しているという記事のなかで、わたしに関わる箇所は次のところだ

あえて劇団を作らず、公演ごとに出演者を集める演出家も増えている。京都で活動する若手演出家の田辺剛は2004年まで劇団を主宰していたが、現在は田辺1人で構成する演劇ユニット「下鴨車窓」で活動する。「作品ごとに適した役者を集める方が効率的。劇団の運営は余分な労力も大きい」と言う。

ずいぶんとあれではないか。「効率的」とか「余分な労力」とか関西演劇界のなかでも随一の面倒くさがり屋さんみたいなことになっている。これでは面倒くさがり関西代表だ。代表はいいがそういう代表では困る。問題はこの発言だけ読むと田辺は「劇団なんかやってられませんわ。けっけっけっ」とちょっと不敵な笑みを浮かべながら語っている絵が浮かび、要は「劇団」というものを全否定したかのような印象になっているということだ。ちなみにこのインタビューは夕食後のお茶の時間に自宅へかかってきた電話によるものだった。当時わたしはとても至福な気分で語っており「けっけっけっ」とか「へっへっへ」などという笑いを交えてしゃべってはいないのである。

さて、記事においては劇団否定派関西代表に就任されられそうになったわたしであるが、実際は違っている。事実としてわたしは公演ごとに俳優を集めるカタチの演劇ユニット「下鴨車窓」の活動と並行して、固定メンバーによる劇団「トランポリンショップ」の座付き劇作家、演出家もしている。たしかに現在の活動は「下鴨車窓」が主ではあるが、そうして劇団にも所属しているという事実があることを確認されたい。確かに2004年まで5年余りやっていた劇団「t3heater」(しあたー)の看板を降ろした頃には疲れ果てて「劇団の運営は余分な労力も大きい」と感じていたし、純粋な作品創作に徹することができない状況のストレスもあった。その当時の心境として記事に書かれた発言は出てきているのだが、実際のところは「t3heater」は劇団結成時からのメンバーが辞めた時点で(劇団員自体は他にもいた)名前(看板)は消滅したものの、「トランポリンショップ」という名前に変わって集団としては継続している。一方でいろんな俳優との出会いを求めて、その出会いに作品が刺激されるようなことを期待して「下鴨車窓」をつくりそこでは公演ごとに俳優を募ることにしたという次第なのだ。

「下鴨車窓」で、3月末には「旅行者」が終わり次は「農夫」だけれど、そのつど俳優を探す作業をしていて考えるようになったのはこういうことだ。つまり結局「下鴨車窓」も劇団化してきているということ。どういうことかというと、その都度俳優を探して声をかけたり、あるいはオーディションで選んだりするのだけれど、実際に出演することになる俳優の顔ぶれを見るとだんだん似ている人たちになる。声をかけると言ったって誰でもいいというわけではなく、自分の創作と共鳴するような、あるいは多少のズレがあってもそれがなにか素敵な瞬間を生み出しそうな、そういう人にしか声をかけない。おそらく今後も俳優を募ったり、声をかけたりすると思うのだけど、こういう「だんだんそんなカンジの人たちになっていく」という傾向は変わらないだろう。

従来の劇団のようにがっちり結束されてはいない。ゆるやかにつながる輪のようである。

こういうイメージとしての「集団」に「下鴨車窓」はなりつつあるし、そうなっていくだろうと思うのだ。そういう点で集団としては「マレビトの会」もそのようにわたしは感じられ、わたしはそれとほとんど同じ道をたどっているんだなという自覚がある。そしてこうしたつながりのゆるやかさ具合にわたしは集団としての可能性を感じているのも確かだ。集団も作品も柔軟に広がる余地があるということ。

従来のようながっちりと結束した集団でもって創作をすることをわたしがまったく否定しないのは、わたし自身「トランポリンショップ」という劇団に所属している事実が示しているが、それはそうした劇団による創作によってしか成り立ち得ない作品があるのであって、舞台芸術がつねに創作者たちの集団性と無縁ではいられないという確信があるからだ。例えば「地点」がそうだし「ニットキャップシアター」も。彼らの作品の独自性はその集団のありようと切り離すことができないとわたしは思っていて、そうした創作の可能性をわたし自身も「トランポリンショップ」で試していきたいと思っている。ある程度閉じた集団で継続して創作すること。そうすることで初めて共有できる創作の方法やポリシーがある。拙作「旅行者」の初演では「トランポリンショップ」のメンバー二人にも出演してもらったのだが、この二人の存在は貴重だった。つまり初めてわたしと創作する俳優に対して、同じ俳優の立場でわたしの方法やポリシーを伝えてくれたのだった。初めての人にはすぐに理解できない、伝わりにくいことがたくさんある。わたしがことばで説明しても追いつかないような。そうしたものを二人が噛み砕いて語ることができたのは「t3heater」時代から「トランポリンショップ」までずっと継続して創り続けてきたからに他ならないのだ。

さて記事の話に戻ってわたしのいかにも「面倒くさいんです」というのに対立するものとしてだ。その次に深津さんのインタビューが出てくる。

これに対し、太陽族と並ぶ実績と人気を持つ劇団、大阪の桃園会を主宰する深津篤史は「演劇に本気で取り組むならば劇団への所属は絶対に必要なはず」と話す。同劇団への入団志望者には深津演出の作品を何本か見ていることを条件とし、主催する演劇で助っ人の役者を呼ぶ際も、いずれかの劇団に所属する役者に限定する。フリーの役者は「プロ志向が低い」(深津)ため、原則として舞台には上げない徹底ぶりだ。 (太字は田辺による)

要点は一つだ。深津さんと仲良くしたい。喧嘩なんかしたくない。これがわたしの悲痛な叫びである。いまではほとんど面識はなくなってしまったけど、かつては飲んだりしたこともあるし初めて深津さんと出会ったのは実はずいぶん昔のことなのだ。

誰か伝えて欲しい。京都に住んでいる田辺の叫びを。田辺はそんな奴じゃないと。深津さんによろしくと。

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