二、三年ぶりに風邪をひいた。本当に久しぶりで、熱っぽかったりダルかったり自分の身体がいつもと違うのが苦しいながら、でも興味深くて、というのも自分の身体を改めて強く意識したからだった。二日経って今ではもう鼻づまりだけになった。
日本劇作家協会のサイトで昨年暮れにあった戯曲賞の最終選考会の流れと審査員それぞれのコメントがWeb上にも掲載されて、
こちらから読めるようになった。
選考会の流れについてはその直後に客席にいた方のサイトでも
紹介されていたが、漁夫の利みたいなカタチだったなと改めて思う。きっと審査員が一人誰か違う人だったり他の候補作にひとつ違うものがあればそれだけでもあっさり流れは変わるはずで、時の運というのはあるのだとよく言われるが、本当にそうだなと思った。
川村さんが「反演劇」と名付けてくれたのがとても新鮮で興味深くて、明確にそういうことは意識していなかったのだけれど、よくよく考えるとそう名付けられる根拠は十分あるなと。わたしのなかでは「そういう芝居はもう面白くないんじゃないか」と、じゃあどういうのだったら面白いのかといつも考えているのだけれど、その過程が節目節目で作品として現れる。「その赤い点は血だ」を書いたときの節目は、わたしのなかで抽象度が行ききったところまで行ったという時期だった。確かに多くの一般的なお客さんには受け入れがたいだろうという予測はすぐにたったけれども、それが「反演劇」ではないかとまで考えたことはなかった。川村さんの文章はその作品が多くの人にはきっとそうなのだということをわたしに気づかせてくれたのだった。ありがたい。
もちろん川村さんだけではなく他の審査員の方々も賛否織り交ぜて触れてもらっていて(斉藤さんも「あえて触れない」という触れ方で)、それが光栄だと、幸せだなとありがたく思うのだった。やはり一番寂しいのは作品を創っても無視されることで、「面白くなかった」という感想であってもそれを言うのにはそれなりのエネルギーが必要なのだから、もっとも「面白くなかった」とだけ言われてもムカつくしかないものの、それでもやはり無視されるよりはまし。むしろどうして駄目なのかというのを言葉を尽くして言われたならばそれはとても有意義なことなはずだ。うまくいったり褒められたりしたときよりも、失敗したり叱られるときの方が多くのことを学べる。ありきたりな言い方だけど、好きの反対は嫌いではなく無関心なのだ。
また、これはネットには出ていないけれど「テアトロ」という演劇雑誌があって、この5月号に3月にやった「旅行者」の劇評が載っていた。太田耕人さんに書いていただいているのだが、かなり紙面を尽くしてもらっている。一回だけの観劇でこれだけの分量を書くエネルギーを考えると、これもまたありがたいことだ。ちなみに「旅行者」については川村さんの言う「反演劇」性はずいぶんと少ないと思うのだけれどどうなんだろう。
表現っていう仕事はお金にならないもんだということを最近改めて意識するのだけどこのようにして語られるということの幸せはなかなか代え難いのではないか、とでも思っていなければこういうことは続けられない。人生の優劣を年収という数字だけで決めてしまう高度資本主義社会に対して、もっと強い「毒素」になりたいとテレビをみるたびに思ってむなしさを慰めている。
それにしてもGW明けの魚灯の稽古が楽しみだ。台本はどれくらいできているだろう。